春のプログラム

嫌いな季節は春

煙草

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祖父が亡くなって三年が経った。

法事には一応出席するものの、日頃は祖父のことなど頭の片隅にあるかどうかも怪しいところだ。

疎遠な故人はこうして記憶から消えていくんだろうな、とぼんやり思う。

 

わたしは祖父が苦手だった。
戦後の動乱を駆け抜け、小さいながらも会社を興した祖父は強い人だった。

強い人の理屈は正しい。しかし万人が正しい理屈で生きていけるかと言えば、それは違う。

弱いわたしは祖父から発せられる言葉の全てが威圧的に思えて、この家に弱虫の居場所は無いのだと萎縮しきりだった。

加えて祖父は喫煙者だった。

今でこそ喫煙者の友人に囲まれているものの、幼いわたしは煙草の匂いが受け付けられなかった。

尤も晩年の祖父は禁煙していたので、これについての記憶は殆ど無い。

禁煙を始めたきっかけが、大昔にわたしが一度だけ煙草を指して「嫌い!!」と言ったことだったという話を聞いたのも随分後になってからだった。

 

その日は去年の三回忌の読経で祖父と喪主である父の名前をあべこべにしていた坊主がまた同じ失敗をして、祖母が出した茶菓子をつつきながら「こうして年に一度でも思い出してあげることが一番の供養云々…」という説教を長々と垂れてから帰って行った。


法事が行われた祖父の家は二階建てで、両階にトイレがついている。

こういうときに親族が一堂に会するのは一階の座敷なのだけれど、わたしはいつも二階のトイレを利用していた。

一見非合理的な行為の理由は単純、一階のトイレが臭いからである。

祖父の家は古いなりにも数回の改築を経て全体的に小綺麗な造りになっているのだが、このトイレだけは公衆便所の様な匂いが漂い続けていたのだ。

他方で二階のトイレは暖房便座とウォシュレット機能付き、勿論異臭も無く快適なことこの上ないのである。

 

きっかけは無かった。ほんの気まぐれ、それ以外に説明のしようが無い。

わたしはその日、十数年振りに一階のトイレに行った。

記憶の片隅にあった公衆便所の様な匂いはそこになく、無香性の消臭剤が香っていた。
不思議に思ったわたしは祖母に久々に一階のトイレを利用したこと、匂いがしなくて驚いたことを伝えた。

初めの内はきょとんとした表情をしていた祖母だったが、しばらくして得心がいった様で、わたしが知らなかった話を教えてくれた。

 

表向きは禁煙をしたことになっていた祖父であったが、そう簡単に煙草を辞めることは出来なかったこと。

かと言って前言を取り下げることもプライドが許さず、日々苛立ちを募らせていたこと。

そうして悩みに悩んだ祖父の選択は、一階のトイレでこっそりと喫煙するというものだったこと。

 

「服に匂いがつくからバレバレなんだけどね」

祖母は笑った。

わたしも畏怖の対象だった祖父がいきり立った中学生の様に思えて、おかしくなって笑ってしまった。
「でもね、あなたがうちに来る日は朝から吸ってなかったのよ」

そう続けた祖母はどこか暖かい表情をしていた。

 

祖父の家から帰る前に、もう一度一階のトイレに行った。

買ってきたマルボロをポケットから取り出し、マッチで火を点ける。

ここが、祖父の居場所だったんだ。

祖父は何を想い紫煙をくゆらせていたのか、フィルターぎりぎりまで考えたけれどわからなくて、来年もここで一服することにした。